けふっとしてそこはかとなく笑えてこわくてだだっぴろい世界へ。ただいま超不定期更新中(なかにしけふこ)
by hortus71
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カテゴリ:映像( 1 )

《大いなる沈黙へ》をみました

みなさまこちらではごぶさたしております。なかにしけふこです。
夏休みに入ったので《大いなる沈黙へ》(フィリップ・グレーニング監督、仏・瑞・独、2005年)を見てきました。
http://www.ooinaru-chinmoku.jp/


カルトゥジオ会の男子修道院、グランド・シャルトルーズに取材した映像詩です。
カルトゥジオ会(ヴァティカン放送局表記ではカルトジオ会)は沈黙の行で知られる観想修道会で、修道士の沈黙と隠修の生活を守るため、下界との接触を厳しく制限しています。グランド・シャルトルーズ修道院も例外ではありません。
カルトゥジオ会のウェブサイト http://www.chartreux.org には霊性、会則と召命・志願・養成の規定(修道士になるまでの道のりの詳細)、修道院の建物の構造や修道士の生活日課が紹介されています。
修道院でのリトリートは召命検討中の45歳以下の男性限定。修道士の家族は修道院を訪問できますが、修道士本人には年間2日だけ面会可能。修道院内の典礼には原則として部外者は参列できないとのことです。観光目的の訪問も許可されていないそうです。

今回の映画の撮影は、ケルンのブルーノによるカルトゥジオ会創立900年にあたる1984年にフィリップ・グレーニング監督がグランド・シャルトルーズに打診してから16年後、はじめて許可が下りて実現したとのことです。修道院と修道会側の慎重な判断ぶりが偲ばれます。グレーニング監督は修道院に6ヶ月滞在して修道士たちとともに勤行と労働の生活に携わり(召命志願者のリトリートと同様かと拝察いたします)、総撮影時間120時間にわたるフィルムに修道院の生活を記録したとのこと。このフィルムから冬にはじまる「1年間」の模様を見せる構造です。もちろん生活は「中世そのまま」ではありません。生活用品にもぜひご注目ください。

カルトゥジオ会は沈黙の行で知られる修道会で、日曜日の午後にのみ会話が娯楽として許可されているとのことでした。作中でも典礼の場面、食堂での日曜日の昼食での朗読と外出場面、幕切れ近くの盲目の修道士の語り以外にはほとんど発話らしい発話がありません。その分、ひとつひとつの言葉がとても重い。

撮影場所の制約も大きかったかと推察されます。禁域へ連なるらしき廊下、畑、台所、礼拝堂、作業所などの場所から定点観測的に修道士の生活が切り取られます。修道院の一日や1年間をドキュメンタリータッチで克明に再現する映像を期待してがっかりされるかたもあるかもしれません。映像詩だと思ってご覧になるとよいかと思います。

季節ごとのエピソードが5分から10分単位の場面に切り取られ、積み重ねられます。粒子の粗めな画像にさしこむ自然光のかげはまるで動くフェルメールの絵のようです。場面と場面のあいだに有機的な物語的な連関を見いだすにはかなりの眼力を必要とします。意味の連関を剥奪された場面のつらなりに、修道院に住み込んで沈黙の生活を修道士たちとともにした監督自身の心象風景のようなものがみてとれるようです。

典礼の場面の配置も単線的な構造をもっているわけではないようです。典礼で歌われている歌と画面に表示される楽譜は必ずしも一致していないともききました。グレゴリオ聖歌と修道院の典礼にくわしい教会音楽家の意見をぜひ伺いたいところです。
深夜の朝課と賛課はカルトゥジオ会の修道院にとって重要な意義をもつ典礼とのことで、作中でもこの深夜の典礼の場面が何度か挿入されます。この深夜の典礼で大バシレイオスの三位一体と聖霊についての論考を黒人の聡明そうな修道士が朗唱する場面が美しい。
そして幕切れ30分ほど前くらいに聖木曜日の十字架行列が登場して驚きます。

修道士の顔の正面からのアップの連続も。もろもろのものがそぎおとされたかのような彼らの表情はどこか硬めにもみえます。修道士たちとグレーニング監督とが互いに信頼関係を築き上げるまでの苦労と時間とが偲ばれます。

開始1時間あたりで下山者の書き置きが複数クローズアップされます。「神父さま。ここは私の居る場所ではありませんでした。」召命志願者か修練者かはわかりません。

日曜午後の遠足は2ヶ月に1回行われるとのことで、作中では春の野遊びの場面と冬の雪遊びの場面が紹介されます。この場面の解放感が格別です。春の野遊びで修道士たちが語る「象徴がわすれられている、象徴がわるいのではなく私たちに問題があるのだ、象徴に意味を見いださなければならない」。この言葉に助けられて後半を注意深く見ることができます。遠景から斜面をすべる修道士たちを撮った雪遊びの場面もたのしそうです。ああ、修道士はいかに厳しい戒律のある修道会であっても、心身共に健康でなければつとまらない、とはこのことか、と感じさせられます。

聖木曜日の十字架行列-雪遊び-盲目の修道士へのインタビュー-深夜の典礼をつなぐラスト30分が圧巻です。アンドレイ・タルコフスキー《アンドレイ・ルブリョーフ》のラスト10分に匹敵します。盲目の修道士のことばによってこれまでのそれぞれの場面の発していたメッセージがつながります。
「ほんらいはすべては喜びである」「よりよい魂になるために沈黙の生を選んだ」「現代社会には神の意識が失われている。ひとは何のために生きるのだろう、神を知らなければ生きる意味も見失ってしまうのではないか」。

場面転換のさいに黒地に白い文字で綴られる字幕が挿入されることがあります。ここの文言にも、監督自身の隠修生活への憧れがほのみえるようで、隠修の生への戸惑いと憧れ、修道士たちとの信頼関係を築くまでの無言の対話をともに沈黙のうちに味わうことができます。「神は私を誘惑し、私は誘惑された」は「神は私をいざない、私はいざなわれた」くらいが柔らかくていいんじゃないでしょうか。

たいくつはしませんでしたし、映像も美しく、なによりエモーショナルなBGMがいっさい使われないのがよい。もっとも、場面の相互の連関と映画全体の構造がなかなかつかめないのが最初ややつらかったです。
この映画のDVDを買って何度も見ている知人がいるのですが、どうやら私はその境地にはまだ達していないようです。
ともかくもグランド・シャルトルーズに入って撮影したというだけでも記念碑的な作品であると思います。

岩波ホールの上映作品予告編に出ていた《ローマの学校で》は見てもいいかなあと思いました。《川の流れはバイオリンの音》《四季・ユートピアノ》の佐々木昭一郎さんの新作もかかるようです。

なお、みんなだいすきシャルトルーズ酒の酒蔵はヴォワロンにあります。この映画には出て来ません。こちらは見学できます。http://www.chartreuse.fr/
by hortus71 | 2014-08-12 22:48 | 映像